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東京地方裁判所 平成7年(合わ)26号 判決 1997年8月12日

主文

被告人を懲役一二年に処する。

未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

押収してあるけん銃一丁(平成七年押第八二六号の1)及び実包五発(同押号の2、3、ただし、同押号の2、3のうちそれぞれ一発は鑑定のため試射済みのもの。)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  平成六年一〇月二五日午前八時五分ころ、東京都品川区南品川三丁目一番二〇号京浜急行電鉄株式会社青物横丁駅構内表コンコース改札口付近において、岡崎武二郎(当時四七歳)に対し、殺意をもって、その背後から至近距離で、所携の自動装てん式けん銃(<省略>)により弾丸一発を発射して岡崎の背部に命中、貫通させ、よって同日午後一時三五分ころ、同都渋谷区恵比寿二丁目三四番一〇号東京都立広尾病院において、岡崎を肝臓及び下大静脈等の損傷により失血死させて殺害し、

第二  法定の除外事由がないのに、同日午前八時五分ころ、前記京浜急行電鉄株式会社青物横丁駅構内表コンコース改札口付近において、前記けん銃一丁をこれに適合する実包六発(<省略>)と共に携帯した。

なお、被告人は、本件各犯行当時、精神分裂病又は妄想性障害のため心神耗弱の状態にあった。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

罰条

第一の所為 平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文により同法による改正前の刑法(以下「改正前刑法」という。)一九九条

第二の所為 平成七年法律第八九号附則二条により同法による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二第二項、第一項、三条一項

刑種の選択 判示第一の罪について無期懲役刑を選択

法律上の減軽 判示第一の罪について改正前刑法三九条二項、六八条二号、判示第二の罪について同法三九条二項、六八条三号

併合罪 改正前刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重)

未決勾留日数の算入 改正前刑法二一条

没収 改正前刑法一九条一項一号、二項本文(第二の犯行組成物件として)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(責任能力に関する判断)

一  弁護人は、本件各犯行当時、被告人が精神分裂病により心神喪失の状態にあり、無罪である旨主張し、他方、検察官は、被告人がなお心神耗弱の状態にとどまっていた旨主張するので、この点について当裁判所の判断を示す。

二  この点については、本件各犯行は、妄想性障害による被害妄想に基づくものであるが、平成五年六月のそけいヘルニアの手術前の日常生活、犯行に至る経緯、犯行の態様、犯行後の経過、被告人の犯行に対する考え方等を総合すると、本件各犯行当時、心神耗弱の状態にあったとする保崎秀夫鑑定と、被告人が本件各犯行当時、妄想型精神分裂病による妄想状態にあり、社会適応は著しく障害され、精神的にも生活においても、現実世界から切り離された状態にある上、思路障害、精神内界の貧困化などの陰性症状もすでに進行しており、正常な理非善悪の判断をなす能力を欠いていたとする斉藤正彦鑑定とが対立している。

三  関係各証拠により認められる本件各犯行に至る経緯及び本件各犯行後の行動は、以下のとおりである(なお、日付は特に記載のない限り平成六年である。)。

1  本件各犯行に至る経緯

被告人は、平成四年八月ころ、血尿が出たことから数か所の病院で診察を受けた後、同年一〇月三日、そけい部の痛みを訴え、都立A病院で泌尿器科の岡崎武二郎医師(以下「岡崎」という。)の診察を受け、慢性前立腺炎と診断され、通院して治療を受けていたが、右そけい部にはれを感じ、平成五年五月二五日、岡崎の診察を受け、そけいヘルニアと診断され、岡崎から手術を勧められた。そして、同年六月七日、A病院に入院し、同月八日岡崎の執刀によりそけいヘルニアの手術を受けた。

被告人は、手術後、睾丸にはれと痛みを感じ、岡崎や看護婦らに対して、その症状や原因について何度も質問したり、説明を求めるなどし、さらに頭痛、不眠、手足のしびれ等の症状も訴えるようになり、同月一二日には入院中外出して木村病院で診察を受けたりしたが、手術した医師でないと詳しいことはわからないなどと言われるにとどまった。しかし、被告人は、依然として体の不調が続くため、退院を数日延期してもらっていたところ、同月二二日、岡崎やA病院長園嵜秀吉らから退院するように求められ、手足のしびれ等を訴えて退院の再延期を求めたが聞き入れられず、半ば被告人の意に反してA病院を退院させられることになった。

被告人は、同年七月一日、外出中に倒れ、頭痛、手足のしびれ等の症状を訴えて、竹内病院に救急車で運ばれ、同月一六日まで同病院に入院した後、A病院、慶應義塾大学付属病院、山田胃腸科肛門科病院等十数か所の医療機関をまわり、腹部の膨脹感、頭痛、手足のしびれ、睾丸のはれ等主にヘルニア手術後に感じるようになった症状を訴えたが、被告人の身体に特に異常な点は発見されず、診察した医師からは手術した医師でないとわからないなどと言われ、いずれも被告人が納得できる説明を得られなかった。被告人は、このようにそけいヘルニアの手術後体の不調が続き、医療機関で診察を受けてもその原因が明らかにならなかったことから、同年七、八月ころから次第に、腹部にぐるぐる回転するゴム状のものが入っており、それに皮膚の下にある糸状のものが引っ張られて血管や内臓を締めつけているなどと思い込むようになり、ヘルニア手術の際岡崎に人体実験をされたという妄想を抱くようになった。被告人は、岡崎に人体実験されたことを証明するため、本件各犯行に至るまでに、さらに数十か所の医療機関で一五〇回以上の診察を受け、診察した医師らに対して、被告人が感じる異常な感覚の内容を執ように訴える一方で、A病院に対しては、退院後九月ころまでたびたび同病院を訪れて手術後の症状を訴えたり、手術の内容等についての質問状を作成して岡崎にその回答を求めたりしたほか、同年八月には、自分の手術録を無断で持ち出してコピーするなどした。

そのうち、被告人は、妄想に基づく自傷行為に及ぶようになり、同年一〇月三日、腹部に入っている異物を取り出そうとして、カッターナイフでへその上部を切ってはさみを押し込んだりしたため、救急車でいったん東京女子医大第二病院に運ばれた後、都立松沢病院に搬送されて同病院に同年一一月三〇日まで入院した。同病院退院時の診断は、妄想性障害又は精神分裂病の疑いであった。その後、被告人は、二月二一日にも、糸のついた針を腹部に突き刺したまま一人で松沢病院外来を訪れ受診し、医師が針を取ろうとすると、腹にピアノ線をひっかけて見えるようにしてあるから、取るななどと言って暴れ出し、職員に押さえ込まれ、鎮静剤を注射されて眠らされたことがあった。その後、被告人は、二月二六日からアヤメ病院等で精神科の治療を受け、精神分裂病と診断され、投薬を受けたりしたが、症状がかなり軽減したため、三月二二日からB株式会社に復職した。しかし、七月ころから、腹の中に異物が入っていて違和感があり、手術の糸が溶けずに体の中を移動しているなどの妄想や異常な感覚が再び強く現れるようになった。そのため、七、八月には、再び岡崎らに対して、手術の内容や症状についての質問状を送って回答を求めたり、右足のしびれ等の症状や異常な感覚について訴え続けたりしたが、岡崎らからそれは被告人の妄想であり、何らかの証拠を提出しない限り、今後そのような話には応じられないという対応をされた。

このように、被告人は、多くの医療機関を訪れて診察を受けたが、岡崎がそけいヘルニア手術の際自分の体に人体実験をしたことの証拠を得られず、岡崎からも今後は話し合いに応じないという対応をされたことなどから、このままでは自分は岡崎の人体実験により体調が悪化して死んでしまうのではないかと思い込み、九月ころには、自分が死ぬ前に岡崎を殺そうと考えるに至った。

なお、被告人は、同月二五日、自分がこのまま出勤しないで会社にいることは会社に迷惑をかけるし、取引先のお客も困るだろうとして、B株式会社を自ら退職している。

2  犯行前の行動及び犯行状況

そこで、被告人は、九月初めころ、岡崎を襲うためにスタンガン、ハンマー、包丁、スプレー式目つぶしを用意した上、岡崎の帰宅経路であるA病院から鴬谷駅までの間で岡崎を襲おうと考え、さらに徒歩では岡崎を追跡できないため、八月二九日、九月九日、同月一二日の三回にわたり、A病院前路上にレンタカーを止めて岡崎を待ち伏せした。しかし、八月二九日、九月九日は岡崎を見つけられず、同月一二日、A病院から出てくる岡崎を見つけて近づいたが、岡崎が被告人の車に気づいてタクシーに乗り、結局信号待ちでタクシーを追跡できなかった。そのため、今度は岡崎の自宅から青物横丁駅までの通勤経路で岡崎をねらうことにした。そして、自分の今の体力からすると、包丁等では岡崎に抵抗された場合殺害の目的を果たすことができないと考え、けん銃を使用して殺害しようと決意した。そこで、暴力団員であればけん銃を持っているだろうと思い、同月一一日、浅草のソープランドの従業員から国粋会田甫一家根岸組事務所と住吉会浅草武蔵小山同人会本部事務所を教えてもらった。翌一二日、根岸組事務所を訪ね、丙山太郎に免許証を見せた上、けん銃がほしいので手に入らないかと頼んだが、丙山からけん銃を入手できるかどうかわからないが考えておくと言われたため、自分の名前や電話番号等を記載した紙を丙山に渡した。この後、同人会本部事務所を訪ねて、けん銃を売ってもらいたいと頼んだが、全く相手にされなかった。その約一週間後、被告人は、再び根岸組事務所に行き、丙山にけん銃を譲ってほしいと頼んだところ、丙山からけん銃を入手するためには現金を少し持ってくるように言われたので、二、三日後に現金三〇万円を用意して同事務所を訪れた。しかし、一度に大金を渡しても本当にけん銃を譲ってくれるかわからないと考え、最初は五万円だけを渡そうとしたが、五万円ではけん銃が手に入らないと丙山に言われ、三〇万円を渡し、けん銃を探してもらうことになった。一〇月中旬ころ、丙山から四〇万円から五〇万円用意できるか、今から取りに行くという電話があり、JR南浦和駅のホームで待ち合わせた。被告人は、五〇万円を持参していたが、やはり全額渡すと金だけ持って行かれてけん銃を渡されないことがあるのではないかと思い、丙山には五万円しかないと言ったところ、丙山からそれではけん銃を探せないから、銀行で引き下すように求められたので、銀行のキャッシュコーナーに行き、そこで金をおろしたふりをして持っていた四〇万円を銀行に備え付けられた袋に入れて丙山に渡し、その際丙山の名前と携帯電話の電話番号を教えてもらった。同月一八日、丙山から今日けん銃を渡せるから七〇万円用意するようにという電話があり、車の中で七〇万円と引き換えに回転弾倉式けん銃及び実包を手渡された。自宅でそのけん銃を確かめようとしたが、母親に気づかれてはまずいと考え、自宅近くの神社でけん銃等を確認すると、弾が弾倉に入らず、弾倉も回転しなかったため、丙山にその旨電話して、翌日他のけん銃と交換してもらうことにした。同月一九日、根岸組事務所近くの裏通りで丙山から前日渡されたけん銃と引き換えに別のけん銃の入ったグレーのビニール袋を手渡された。タクシーで鴬谷駅に戻る途中、けん銃を取り出して見たところ、そのけん銃も偽物のように思われたので、いったんタクシーを降りて公衆電話から丙山の携帯電話に電話をかけて本物のけん銃かどうか確認し、このときけん銃の撃ち方も教えてもらった。そして、被告人は、昼間人気のない自宅近くの川口市営上谷沼運動場北側スタンド付近で、暴発してもけがをしないように家にあった角材にけん銃をビニールテープで固定し、引き金にくくりつけたビニールテープを引いてそのけん銃の試射をした。岡崎を殺すには一発で十分だと考え、その余の弾丸がセットされたままでは危険であることから、丙山に弾丸を抜く方法を電話で尋ねたりした。

同日夕方、青物横丁駅付近のケンタッキーフライドチキン二階で岡崎を待ち、午後六時ころ岡崎を見つけて追いかけたが見失った。翌二〇日、今度は岡崎を追跡したり逃走するのに使うため、自宅で使っていた原動機付自転車(以下「本件スクーター」という。)を使用しようと考え、自宅用にもう一台スクーターが必要になったので、自宅近くのライダーズショップで、別のスクーターを購入した。翌二一日午後三時三〇分ころ、けん銃を携えて青物横丁駅に行き、ミスタードーナツ青物横丁店、割烹「さしろ」と場所を変えながら青物横丁駅から出てくる岡崎を待ち、六時ころ岡崎を発見し、急いで飲食代金の支払いを済ませ、店を出て追いかけたが、岡崎を見失ってしまった。同月二二日及び二三日は土、日曜日であり、A病院が休みなので岡崎を待ち伏せしなかった。その間、スクーターを路上駐車して警察に駐車違反として撤去されるようなことがあっては困ると考え、青物横丁駅近くにスクーター駐車場を借りた。その後ライダーズショップに預けていたスクーターを引き取りに行き、青物横丁駅まで自宅で使用していた本件スクーターを運ぼうとしたが、体調が悪かったので日暮里駅近くに本件スクーターを駐車させて帰宅した。同月二三日、本件スクーターを青物横丁駅前まで持っていった後、いったん自宅に戻り、けん銃を携えて大森駅近くのホテル「ニュー銀月」に泊まったが、チェックインする際宿泊カードには氏名を「追田哲哉」と書き、住所及び電話番号も自宅とは関係のない住所及び電話番号を記載した。翌二四日、ホテルをチェックアウトしてタクシーで青物横丁駅に行き、午前八時ころ改札口前広場にある公衆電話ボックスのところに立って岡崎を待っていたが、岡崎を見つけられなかったので、夕方再度待つことにして、大井町駅近くの東京バニアンホテルにチェックインしたが、その際宿泊カードには本名と自宅の住所及び電話番号を記載した。午後五時二五分ころから、青物横丁駅前のケンタッキーフライドチキン二階で岡崎を待っていたところ、午後六時ころ岡崎を見つけたが、店外にでたときすでに岡崎の姿はなかった。本件スクーターで岡崎宅まで行ったが何もせずに東京バニアンホテルに戻り、けん銃の弾倉に弾四発を込めてあるのを確認した上、いつでも発射できるようにスライドを引いた状態にしたが、その状態では操作を誤ってけがをするおそれがあると考え、フロントで青マジックを借りて、けん銃を入れた紙袋に銃口の方向がわかるよう矢印を書いた。翌二五日、ホテルを出て、右けん銃入り紙袋を持ってスクーターで青物横丁駅へ向かい、午前八時ころ城南ブックサービス前で岡崎を待っていたところ、出勤してきた岡崎を見つけ、その後を追い、他の人を巻き添えにすることのないようその横にまわって岡崎の顔を確認した上、至近距離から判示のとおり犯行に及んだ。

3  本件各犯行後の行動

本件各犯行後、被告人は、あらかじめ青物横丁駅近くに止めてあった本件スクーターに乗って逃走した後、タクシーに乗り換えて幕張本郷駅に向かい、途中で母野本テルに電話し、今友達のところにいる、昨日と一昨日自宅に帰らなかったことは言わないでくれなどと伝えた上、さらに幕張本郷駅からタクシーを乗り換えて京成大久保駅まで行った。その後、被告人は、同駅付近にある習志野市中央公園内の茂み等に実包三発の入ったけん銃一丁、実包二発及びけん銃を入れていた紙袋等をそれぞれ離れた場所に投棄した後、事件の報道を聞くため、同駅付近の電器販売店において、携帯ラジオ二台及び乾電池を購入した。

体調が悪化したため先行長く生きられないかもしれないと考えた被告人は、本件各犯行に先立ち、八月二九日に定期預金を解約して交際をしていた乙川花子に七五〇万円を渡していたところ、逃走資金が必要であることから、タクシーに乗って乙川の家まで行き、乙川から現金約二五〇万円を借りたが、乙川には迷惑をかけたくなかったので、本件各犯行を犯して逃走中であることは話さなかった。

その後、京成成田駅から八街駅まで行き、岡崎を殺すときに着用していた服装では気持ちが悪く、また、捕まらないように別の服装にするため、ミヤマ八街店でシャツを買い、昼食を取った割烹「やまもと」のトイレで犯行時着用していたシャツと着替えて、脱いだシャツを民家の前に置いてあった自転車のかごの中に捨てた。そして、さらに、八街駅、西船橋、錦糸町駅とタクシーを乗り継ぎ、さらにバスで神田駅へ行き、そこから新宿東口、中野駅、品川駅、関内、伊勢佐木町までタクシーを乗り継いで、伊勢佐木町のホテルプレイイン[2]ヨコハマに宿泊した。被告人は、同月二六日、ホテルプレイイン[2]ヨコハマ近くの昭和スポーツ店でジャンパーを、ユニーイセザキ店でズボン及び靴をそれぞれ購入した上、犯行時着用していた靴をユニーイセザキ店階段踊り場に設置されたごみ箱に、ジャンパー及びズボンをそれぞれビルとビルのすき間の人目に付かない場所に捨てた。その後小田原、箱根湯本とタクシーを乗り継いで、箱根湯本の祥月本館に宿泊したが、その際宿泊カードには氏名を「北村勇」、住所を「神奈川県緑区」と記載した。

被告人は、祥月本館で、今まで聞いた本件についての報道では岡崎が人体実験をしたことが動機であることが正確に報道されていないとして、そのことを報道機関に伝えるため、報道機関にあてた文書を書いた。そして、翌二七日、JRで小田原駅から平塚駅まで行き、平塚駅付近の八木商店で事件報道を知るために液晶テレビ及び乾電池を買った後、タクシーで横浜駅へ向かい、喫茶店エリーゼ、松坂屋のレストラン銀サロンで報道機関にあてた文書を書き、深夜バス停のベンチでその文書を書き終えた。被告人は、右文書をテレビ局に直接渡すため、タクシーに乗って新宿区歌舞伎町まで行き、コンビニエンスストアで文書をコピーした上、タクシーに乗って翌二八日午前三時ころから午前三時五〇分ころにかけて、NHK、フジテレビ、日本テレビ、TBSをまわって警備員に文書を渡したが、このときTBSの台本・書類等授受簿には依頼者「台東区谷中三-六-一八 高橋一」と記載した。午前四時過ぎころ、ホテル小野にチェックインし、昼ころ目が覚めてテレビを見ると、自分が公開指名手配になっていたことを知って自首しようと考え、母に電話してJR南浦和駅で待ち合わせをした。新宿からタクシーに乗ったが、途中池袋駅近くの郵便ポストで不要となった所持金約二八〇万円を乙川宛に郵送したり、川口駅の公衆電話で日本テレビに報道内容が虚偽であるなどと電話した後、JR南浦和駅で待っていた母親に会いに行って警察に逮捕された。

四  そこで、以上の各事実を前提として、被告人の責任能力を検討する。

1  まず、動機の点について、被告人は、従来より健康に人一倍気を使っており、そけいヘルニアの手術にもちゅうちょを覚えていたところ、そけいヘルニア手術後、睾丸のはれや痛み、頭痛や手足のしびれ等の症状が出現し、そのことを執刀医師である岡崎らに訴えたが、被告人としては、十分に納得のいく説明が受けられなかったと考えて、その後何か所かの医療機関を回ったが、その原因が明らかにならなかったため、ますます不安をつのらせて心気症的となってやがて異常な感覚を覚えるようになり、それは岡崎がそけいヘルニア手術の際に人体実験をしたからであると思い込むようになった。そして、岡崎による人体実験を確認するため、その後も様々な医療機関で診察を受けたが、いずれも異常がないと診断された上、結局手術した医師でないとわからないと言われたり、精神科の受診を勧められたりしたことから、さらに被告人の不満、不安がつのり、他方、それと平行して、岡崎や園嵜らに説明を求めても、納得のいく回答を得られないまま、最後は被告人の妄想であり、裁判にしてもよいと言われるなどしたため、このままでは、岡崎の人体実験の証拠を得ることができず、岡崎の人体実験によりこのまま体調が悪化して死んでしまうかもしれないと考えて、自分が死ぬ前に岡崎を殺さなければならないと決意するに至ったというものである。右のような経緯に照らすと、被告人の体感異常を中心とする岡崎に対する被害妄想は、手術後の体の不調を契機として形成されたと考えられ、右妄想の内容自体は奇異で理解困難なものであるが、被告人がそのような妄想を抱くようになった経緯及び動機の形成過程は了解可能なものである。

2  さらに、犯行に至るまでの行動についても、自分の体調では勤務先に迷惑をかけると考え、自ら退職していること、岡崎を追跡するためにレンタカーを借り、凶器の包丁、ハンマー等を用意した上、岡崎を待ち伏せしていたこと、A病院前での待ち伏せが失敗すると、待ち伏せの場所を青物横丁駅前に変更し、通勤時間帯をねらって岡崎を待ち伏せしていること、自らの体調が悪いことを考慮して確実に岡崎を殺せるようにけん銃による殺害を計画したこと、暴力団員が実際にけん銃を譲ってくれるかどうかはっきりしないときには、金をだまし取られることがないよう金を小出しに渡していること、暴力団員が最初に渡したけん銃が正常に作動しないものとわかると、すぐ他のけん銃と交換してもらっていること、入手したけん銃が正常に発射するかを確認するために試射までしており、その際暴発してけがをしないように角材にけん銃をひもでくくりつけて試射していること、犯行後犯行に使用しなかった弾丸がセットされたままでは危険であると考えて、弾丸を抜く方法を丙山に尋ねていること、岡崎を追跡したり逃走したりするのに使用するため本件スクーターを用意し、そのための駐車場まで契約していること、犯行前宿泊したホテルの宿泊カードに偽名や虚偽の住所等を記載していること、スライドを引いたままの状態のけん銃を誤って発射させないように紙袋に銃口の方向を矢印で書いていたこと、岡崎を見つけるや他の人を巻き添えにすることのないようその顔を確認した上、至近距離でけん銃を発射させているなど犯行に当たっては沈着冷静に行動していることなどに照らすと、その行動はそれなりに合理的な判断に基づいたものである。

3  また、犯行後の行動についても、逃走後再び東京に戻り、岡崎に人体実験されたことが動機であるという内容の報道機関あての文書を、自らテレビ局を回って警備員に手渡したり、報道の内容についてテレビ局に電話したりするなどの行動は、確かに犯行後逃走中の者の行動としては、奇妙な行動であることは否めないが、岡崎に人体実験されたという妄想を強く抱いていた被告人がそのことを世間の人に知ってもらおうと考え、右のような行動に出たというのもあながち不可解な行動であるということはできない上、本件犯行現場からすばやく逃走し、けん銃や実包等を本件犯行現場から離れた公園の茂みなど人目に付かない場所に投げ捨てていること、報道の状況を知るために携帯ラジオ等を購入していること、乙川から逃走資金を借りていること、犯行時着用していた衣服や靴を着替え、それらを容易には発見できない場所に捨てていること、宿泊したホテルの宿泊カードやTBSの授受簿には偽名や虚偽の住所を書いていること、自首する前に所持金を乙川に送り返していることなど、ある程度合理的と思える行動をとっているのであり、犯行後の被告人の行動も了解可能な行動といえる。

4  以上のような各事実及び保崎秀夫鑑定(再鑑定を含む。)を総合すると、本件各犯行当時、被告人は、体感異常を伴う被害妄想を中心とする妄想状態にあり、右妄想状態が精神分裂病によるものか妄想性障害によるものかは別として、物事の事理弁別を判断し、その判断に従って行動する能力が著しく減退している状態にあったとは認められるが、それらの能力を欠く状態にあったとまでは認められない。

右認定に反する前記斉藤鑑定は、けん銃を入手する際の被告人の行動や犯行後の計画性のない逃走行動、書面を用意してテレビ局を回るといった行動等は、理解に苦しむ行動であり、日ごろの被告人の人格とはかい離しているとする点において、当裁判所の右の認定した考えとは見解を異にしていて採用できないところであり、また、被告人には精神分裂病に特有の陰性症状の進行が認められるとする点も、保崎秀夫の再鑑定における心理検査結果等によれば、必ずしもそのように断定できないと考えられ、精神分裂病かどうかの点は別として、被告人が本件各犯行当時、心神喪失状態であったとする点においては、到底採用できない。

五  したがって、以上述べたところから、被告人は、本件各犯行当時、物事の事理弁別を判断し、その判断に従って行動する能力が著しく減退しており、心神耗弱の状態にあったというべきである。

(量刑の事情)

一  本件は、そけいヘルニア手術をきっかけとして異常な感覚を感じ、被害者により右手術の際人体実験をされたという被害妄想を抱くようになった被告人が、被害者を待ち伏せた上、あらかじめ入手していた自動装てん式けん銃により被害者を殺害する(判示第一の犯行)とともに、右けん銃一丁を実包六発と共に携帯した(判示第二の犯行)が、本件各犯行当時、心神耗弱の状態にあったという事案である。

二  判示第一の犯行について見ると、被告人は、当初凶器として包丁やハンマー等を用意したが、当時の体調等に照らし、被害者に抵抗された場合、包丁等では殺害できないと考えて、暴力団員からけん銃を入手するとともに、けん銃を試射して使用方法を確認し、原動機付自転車を用意して、通勤途中の被害者を待ち伏せするなどして犯行の機会をねらっていたものであって、本件犯行は計画的なものである。また、無防備な被害者の背部をねらい、至近距離からけん銃を発射、貫通させるという確定的殺意に基づいた極めて残虐な犯行態様である上、通勤客で混雑する時間帯に駅構内でされた犯行であり、現実に発射した弾丸が被害者の身体を貫通して、通勤客の衣服をかすった上、約二〇メートル先の掲示板にあたって止まったことに照らしても、一歩間違えば他の通勤客の生命身体に危害を及ぼす危険性も十分あった極めて危険な犯行である。そして、何よりも当時四七歳という医師として脂の乗り切った被害者の生命を一発の弾丸で奪ったその結果は極めて重大であり、人生半ばにしていわれもなくその道を閉ざされた被害者の無念は察するに余りあるものがある。被害者の遺族らも、愛する夫ないし父親である被害者を突然失ったことで悲しみにくれており、被害者の妻は、被害者がいなくなったことで、心の支えがなくなり、家事をしていても涙が自然と出てしまうこともあり、心の中にぽっかり穴があいてしまったようだと述べるなど、本件が遺族らに与えた精神的、経済的影響も大きく、被告人の厳罰を望んでいるのも当然である。さらに、けん銃による犯罪が多発する昨今、多数の通勤客の眼前で医師をねらったけん銃による殺人事件として付近の住民や社会に与えた心理的不安、衝撃も無視できない。

三  さらに、判示第二の犯行については、本件けん銃は、殺傷能力の極めて高いけん銃である上、右けん銃と共に携帯した実包も六発と少なくなく、そのうち四発をけん銃に装てんした状態で所持していたことなどから、その犯行態様は危険かつ悪質である。

四  以上からすると、被告人の刑事責任は、極めて重いものであると言わざるを得ない。

五  したがって、被告人は、本件各犯行当時、精神分裂病又は妄想性障害のため心神耗弱の状態にあったこと、被告人も、現在では本件について被害者には不幸な事件であったと述べるとともに、遺族には申し訳ないと述べるなど反省の態度を示していること、被告人には前科がない上、これまでB株式会社等でまじめに働いてきていること、そして、年老いた母親が被告人の帰りを待っていることなど被告人のために斟酌すべき事情を考慮しても、主文のとおりの刑は免れ難い。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三上英昭 裁判官 後藤眞理子 裁判官 大串真喜子)

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